プロ野球・読売ジャイアンツで活躍する増田大輝選手。
華々しい活躍の裏には、異色ともいえる苦労と努力の軌跡がありました。
大学を中退後、とび職として働きながらも夢を捨てず、見事プロ入りを果たしたその経歴は、多くの人の心を打つものです。
この記事では、増田大輝選手の知られざる経歴や、とび職時代、そしてプロ野球選手になるまでの道のりを詳しくご紹介します。
増田大輝の経歴
高校時代は甲子園とは無縁
増田大輝選手は1993年7月29日、徳島県徳島市で生まれました。
地元の徳島県立小松島高校に進学し、野球部では主将を務めるなどチームの中心選手として活躍しましたが、甲子園出場の経験はありません。
いわゆる「無名校出身」の増田選手は、注目されることなく高校野球を終えますが、それでも野球への情熱を失うことはなく、近畿大学へ進学し、大学でも野球を続けました。
近畿大学に入学するも2年時に退学
しかし、近畿大学ではさまざまな事情から2年生で中退。
「プロ野球選手になる」という夢を諦めざるを得ない状況に追い込まれました。
大学中退という挫折を経験し、野球の道を離れることになります。
徳島県のとび職に就く
大学を中退後、増田大輝選手は地元・徳島県でとび職として働き始めました。
当時20歳、体を使う仕事に従事しながら、野球とは無縁の生活を送っていたといいます。
しかしこのとび職時代に、後の妻・優香さんと出会い、人生が大きく動き出します。
優香さんは、「私はプロ野球選手の奥さんになりたい」という夢を語り、夢を諦めかけていた増田選手の背中を押しました。
増田大輝と妻(嫁)はプロ入団後から別居
プロ入り後、増田選手の歩みは決して楽なものではありませんでした。
2015年、読売ジャイアンツから育成ドラフト1位で指名を受け入団。
しかし、当時の年俸は240万円。妻と子どもを養うには厳しい状況です。
そこで、妻の優香さんは徳島に残り、子育てをしながら働き、生活を支えることを決意。
増田選手とは別居という選択をしました。
それでも彼女は、週に一度、1週間分の手作り料理を宅配便で送り、栄養面でのサポートを続けました。
その支えを受けながら、増田選手は育成選手として努力を重ね、2017年には支配下契約を勝ち取り、背番号「98」に変更。
2019年には一軍初昇格を果たし、プロ野球選手として着実にステップアップを遂げました。
まとめ
増田大輝選手の経歴は、苦労と努力の積み重ねでできています。
高校時代は甲子園とは無縁、大学は中退、そしてとび職を経てプロの世界へ。
その裏には、夢を諦めず支え続けた妻・優香さんの存在がありました。
異色の経歴を持つ増田大輝選手の今後の活躍にも、ますます注目が集まります。
きっと、東京ドームで家族と一緒に笑顔を見せる日も遠くないでしょう。
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